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内輪ノリの是非を考える波が来ているらしいので波にのって考えてみた

自分語り

自分が所属しているコミュニティといてば、baserCMSというオープンソースのプロダクトと、福岡のWEB界隈での主にPHP方面に所属している認識がある。具体的にいうと、baserCMSユーザー会やfukuoka.php、サト研(仮)あたりになると思う。

エンジニア2年目くらいのころまではruby界隈の勉強会にも参加していて、3年目でPHPを触りだしたあたりからPHPコミュニティ界隈の主に勉強会に顔を出すようになったのだが、内輪ノリは感じていたものの技術的に面白い話が聞けるので定期的に勉強会などは参加していた。

そこでのことだが、やはり「有名な○○さんが〜」などの話題は当たり前のように会話に織り込まれるし発表にも織り込まれる。
最初に参加した頃は「○○方面にはそういう有名な人がいるんだなぁ」と保管して話を聞いてはいたし、定期的に参加しているとその人自身に会えることもあるし、逆に未だに知らない名前の人名前を知っている前提で話されることもある。

 

内輪がなぜ出来るのか

気づいたら自分自身もある一定の内輪に入っているようにもなってきた。まあ7,8年同じ福岡のWEB業界で働いていればそうなっていくのだろうと思う。なぜ内輪に組み込まれたかを自分なりに考えると、いろんなポイントがあると思うがやはり実際に一緒に過ごす時間、機会が多いほうが圧倒的にそうなりやすいと思う。

また時間や機会だけでなく、インパクトも重要だとは思う。例えば勉強会でいうと登壇者は、参加者や他の登壇者と会話する機会が増え、内輪の人となり安い。

自分ではよくわからないし、おそらくまれに遅刻するだろうからだろうが私自身も「#権藤来ない」などとハッシュタグで言われるネタになっているような側面もある。そのネタでnowokayさんと比較されることもある。

内輪の是非について

いいところ

学生の頃、クラスや部活というのはある一定のルール、目的で半強制的に同じ時間、機会を持たされた。そういった中で生まれる仲間感と同等のものが技術系コミュニティの内輪と同様のものだ。そういった雰囲気は中の人間にとっては楽しい。

さらに私が所属している3コミュニティーは基本、勉強会などの登壇者は無報酬だし、参加者も無料で参加出来る。

技術コミュニティーの主催を続けていくのは知識敵なメリットもあるが企画を立て、時間を決め、物事をまとめていくと、結構な時間を要することになる。運営に時間を使う中で、コミュニティのメインで動いている人は絶対につらみがある。そういったときに外部から見た「内輪の人」が内部的には仲間となり助けてくれる事があるし、そういった助けがないとやっていけない。

それはタスクを分けて実際に一部分の運営を行うことかもしれない。
それは「今回の勉強会最高でした」の一言でもいいと思う。
もっと簡単に言うと懇親会などの「乾杯」でもその力に成り得ていると思う。

悪いところ

内輪の人以外からは、「自分はないがしろにされている」というような疎外感は生まれる。
またその原因が勉強会の趣旨とは別のところにあるように見えることから、不快に感じる。

ここまで書いて

あまり悪いところが思いつかない。
特定のところで炎上している話題は、「内輪ノリの発表内容が気持ち悪い」という内容で分解していくと
内輪ノリが気持ち悪い ☓
発表内容が気持ち悪い ○
だと感じた。

内輪ノリが許されるコミュニティと許されないコミュニティは存在すると思う。
許されるものは、個人が楽しいと思うことを同調して複数人がやる場合だ。
許されないものは、ある一定の、例えば商業的な目的を持って人を集めて紹介し商品、サービス等を普及するためのコミュニティだ。

向かうべき方向性

人が集まって内輪ノリができていると思うが、そのコミュニティの方向性として内輪ノリが許されるものなのか、許されないものなのかが判断される必要がある。

内輪ノリが無いとつらみばかり残る。
発表でやる必要はない。
好きなことなら内輪に入ればいいと思う。
入れないのでもそういうもんだと許容したほうが勉強会等のイベントであれば楽しくなる。
楽しくないなら行かないほうがいい。
勉強会ではヒントはたくさん貰えるが、そもそもそんなに直接的な勉強にはならない。

などといろいろと書いてみたが、まとまらないので諦める。ごめんなさい。

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